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おわかれ会 [記事]

 こうきにとって、近しい人の死は、お祖母ちゃんが最初でした。
 その頃こうきは、小学部の四年生で十歳。身近な人が、それも昨日まで元気だった人が
突然いなくなるというのは、大きなことだったと思います。
 それは私も同じで、自分も混乱する中、どのようにこうきにそのことを伝えたらいいか、
迷いがありました。
 また、人が大勢集まるお通夜や葬儀にこうきが出てもよいものか、そもそも皆と一緒に
ちゃんと出られるのだろうか、というのも悩むところでした。
 当時のこうきは、多動全開中。初めての場所で、静かに落ち着いて座っているというのは、
とても難しいことでした。
 学校の担任の先生に、電話で相談してみると、
 「これが合っているかどうか分からないけれど、私の今の感覚で言うと、こうきくんは、
ちゃんと区切りをつけてあげた方がいい。お祖母ちゃんとはお別れだということが納得できた
方がいい」
とおっしゃるのです。
 その言葉になんだか心強くなり、決めました。
 「よし、できるだけ出られるように考えていこう」
 さらに心強かったのが、こうきが四年生になって行き始めたタイムケアの事業所の方。
その方は、ご自身も障害のある息子さん育てている経験から、冠婚葬祭や兄弟の行事の際の
家族へのケアに理解のある方でした。
 相談の末、通夜の日はタイムケアで預かっていただき、火葬場は短時間だから、ケアなしで
家族と一緒に参列。葬儀は付き添いをしていただくということに決まりました。

 お通夜の日は、夕方から親戚が大勢家に集まり、納棺から後の食事までとてもあわただしく
過ぎました。あれこれ神経を遣わなければならないこともたくさんあって、こうきを預かってもら
ったのは正解でした。結局、お通夜が終わったのが夜9時過ぎ。夜の時間帯の特別な預かりの
上に、家まで送り届けていただいたのは、本当にありがたいことでした。
 次の日、午前中は火葬場へ。
 なんとか親戚に混じってバスに乗り、峠の入り口の火葬場に着きました。
 こうきには、「明日はおばあちゃんのおわかれ会します。こうきも出ます」と伝えてありました。
 おばあちゃんの棺にみんなで手を合わせて、棺が炉の中に入っていく。
 「おばあちゃん、さよなら。ばいばい」
 手をふってそこで、こうきの中でのおわかれ会は終わったのかもしれません。
 それから、とたんに落ち着かなくなり、館内を探索し始めました。
 気がつくと、後から焼き場に来た方たちのところへ走っていき、棺のまわりで何か騒いでいます。
 「ダメっ、こっちに来なさい!」
 あわてて飛んでいき、制止しました。
 すると、こうき、身をよじるようにして嫌がり、そのまま軽いパニック状態になり、ますます大声を
止められなくなりました。
 親族の方は控え室へと言われていましたが、とてもそんな場所でゆっくり過ごせるとは思えま
せん。仕方なく、こうきの手を引いて外に出ることにしました。
 外はどしゃ降りの雨が降っていました。小さな傘に二人で入って、山道を先へ先へと歩きました。
谷からの風が吹きつけ、小さな傘では横からの雨は防げず、私もこうきもびしょ濡れになりました。
 私は少し、怒りの気持もありました。
 「こんな日にも、お前はこうなのか、」
 山道をぐいぐい歩きながら、荒い言葉をぶつけたくもなりました。
 けれども、こうきはそんな雨の中でも、いつもの公園の散歩に来ているかのように軽々と小走り
で、どこか楽しげでした。
 そのまま、こうきの手を握って歩いているうちに、少しずつ怒りの気持が静まってきました。
 だいぶ歩いたところで、
 「帰ろうか」と言うと、
 「かえる、かえる」とこうき。
 なんだか納得して、二人で火葬場に戻り、なんとかお骨を拾う時間には間に合いました。
 
 午後の葬儀では、レスパイトの方が喪服を着て、こうきに付き添ってくれました。
 葬儀が始まると、後ろの方の席にしばらく座っていたそうですが、落ち着かずに立ち上がり
始めたので早めに退出し、そのまま事業所に行って預かってくださったと後で聞きました。
無理せず、参列できるところまで、とお願いしてあったので、そこは本当に助かりましたし、
安心して葬儀に向かうことができました。
 今思えば、あの頃のこうきは、まだ毎日のルーティンを変えることができなかったし、
初めての場所に対する不安感も大きかった。
 お祖母ちゃんが急に倒れて危篤状態になった日曜日も、公園に行きたくてたまらず、落ち着か
ないので、病院から帰って車を飛ばし、いつもの公園に連れ出したのだった・・・。
 辛かったような懐かしいような思い出です。

 あれから7年が経って、今度はお祖父ちゃんのおわかれ会。
 あの頃と比べれば、嘘のように落ち着いたこうきの姿がありました。
 通夜は、皆と同じようにその場に座り(正座は難しいので、足を投げ出したり、椅子に座ったり
でしたが)、ふと存在を忘れてしまうくらいの静かさでした。
 時々、こうき特有の声は出ていましたが、それほど気にはなりませんでした。
 ただ、やっぱり少しおかしな行動をしてしまうこうきらしさはありました。それは、DSカメラで
写真をとりまくっていたこと。
 火葬場でもあちこちでカメラをカシャカシャ。棺が炉の中へ入っていくところ、お骨を拾う場面
などを激写。そして、拾い終わってお骨のなくなった台車が奥の部屋に運び込まれていくとき、
中まで見に行ってそこでなにやら上の方を撮影。
 「だめだよ」と静止すると、
 「あっちに、おじいちゃん、いますか」
 「どこから、いきますか」
 上の方を指差して、しきりに写真を撮るのです。
 そこはなんでもない倉庫のような場所なのですが、こうきにとっては、お祖父ちゃんはどこへ
行ってしまうのか、どこから天国へ行くのか、不思議でいっぱいのようでした。
 
 その後の葬儀ですが、前の方に座るよう促しても、自分一人で座ると言って聞かず、最後
まで後ろの方の席で静かに座っていました。
 人と違うところ、少しずれた行動は残っているけれど、周りの世界に少しずつ合わせられる
ようにもなってきたこうき。
 お祖父ちゃんはあまり口には出しませんでしたが、こうきのことを、ずっと心配してくれて
いました。
 少しだけ、安心してもらえたかな、と思います。

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