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これから [記事]

 学校を離れ、成人してからのこうきの生活は、あまりドラマティックなものでは
なくなりました。
 平日は、9時に家を出て歩いて仕事場に行き、4時にはまた歩いて家に戻ってくる。
 土日は、今は買い物に行くか、いつもの公園に散歩に出るか、私が高齢の伯母の
ところに行くのに付き合うか、そのどれかに限られています。
 特に、9月にコロナの警戒レベルが5になってからは、楽しみにしている余暇活
動はことごとく中止。ダンスもサッカーもフライングディスクもいつ再開できるか
未定となってしまいました。
 こうきはなんとなくの不全感で、学校のことばかり話題にし、実際に時々学校の
様子を見に行ったりしています。
 単調な生活のせいでしょうか、私もこうきの生活について考えることが少なくな
りました。それは、学校にいたときのように、こうきの日中の姿を見る機会がなく
なったからかもしれないし、大きな困り事が減ってきたからかもしれません。

 ただ、こうきの人生はこれからが長い。
 卒業してからの生活をどう送っていくか。親がしておくことは何だろうか。
 そんなことを、もう一度見つめていきたいと思うこの頃なのでした。



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れーちゃん、さみしい [記事]

 妹が、大学進学で家を離れることになりました。
 去年からそのことはこうきに伝えてあって、大学を見に行く時にも、
住むところを探しに行くときにも、一緒に連れて行って、ついでに
観光したりもしてきたのですが、いざ引っ越しとなると、さみしさが
じわじわこみ上げてくるようでした。
 「来年かられーちゃん、いなくなっちゃいますか」
 「大学いっちゃいますか」「ひとりぐらし、しますか」
 「こうきくんもひとりぐらししたい」
 いよいよ三月末の引っ越し、こうきも仕事を休んでついていくことに。
 一緒に荷物を運んだり、家具の組み立てを手伝ったり、買い物に行った
りしました。最初の晩はホテルに泊まりましたが 妹の部屋にみんなで
ギュウギュウになりながら何泊かもしました。近くの温泉に行って、ちょ
っとした旅行気分も味わいました。
 大学の入学式当日。妹のアパートの前でお別れです。
 私が妹に、「じゃあ、元気でやるんだよ」と励ましの握手をすると、
 「れーちゃん、じゃあね。げんきでね」
 自分も、というように、妹の手を取ろうとするのでした。
 
 家に帰ってくる車の中。
 「れーちゃんのおうち、4月30日までいていいですか」
 「7月にれーちゃんのうち行くの決まってないですか」
 「8月行ってもいいですか。10月までいてもいいですか」
 「こんど、10日間いてもいいですか。20年間いてもいいですか?」
 楽しい時間は終わってしまったし、だんだん気持ちがエスカレートして
しまいます。
 帰ってからも、がらんとした家を感じたのか、
 「このおうち、三人ぐらしになっちゃった」
 「うんとかなしいのきもち」
 ほんと、そうだよね。わかるよ。
 こちらの気持ちをそのまま言ってくれるような言葉でした。
 
 翌日の朝は、起きてくるなり、
 「れーちゃん、さみしい」
 いつも隣の部屋で寝ているはずの妹がいない。いつも居間でいい場所
を占領し、猫をお腹の上にのせて寝そべって、ケラケラ笑っている妹が
いない。その不在がこたえます。
 「れーちゃん、いなくなって、このおうち、さみしくなっちゃった」
 「大泣きのかなしいのきもち」
 「うんとの大泣きのかなしいのきもち」
 夕方、私が帰ってくると、急に飛び出してきて
 「れーちゃんのおうち、行きたい、行きたい。いつ行きますか!」
気持ちが高ぶることがありました。一人で過ごす時間が長くなって、
寂しかったのかな。早く帰らないと、と思いました。
 たいして会話をするわけではないけれど、小さい時から一番長く、
ずっと一緒にいてくれた二つ下の妹がいないというのは、思いのほか
大きいことなのかもしれません。





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がまんの年 [記事]

 今年は我慢の年でした。
 夏にはコロナウイルスが猛威をふるい、皆家に閉じこもらざるを得ない
毎日が続きました。こうきは余暇として養護学校の同窓会が主催してくれ
ている、サッカーとフライングディスクとダンスの活動に参加していたの
ですが、そのほとんどが中止となってしまい、じれったいようなモヤモヤ
した日々を送っていました。
 特にダンスは、校内の体育館で活動するので、こうきにとっては母校
を堂々と訪ね、昔のように学校に入ることができる貴重な機会です。
月に1、2回の活動ですが、とても楽しみにしていました。
 夏前の6月から大事をとって活動は停止。夏の9月には再開という
ことで3回の予定が組まれていたのですが、まだまだ感染者数が高い
ということでそれも中止になってしまいました。
 「9月の3日と10日と17日、ダンスやりたかった」
 「がっこう、来ちゃいけないですか」
 毎日呪文のように唱えていました。
 「仕方がないよ、コロナかかったら困るからね」
 「志村けんさん亡くなったですか。コロナかかっちゃったですか」
 連日のニュースでコロナの怖さも知っています。ワクチンも我慢して
打ちに行きました。
 それでもなかなか納得はできなくて、いつになったら、どういう状態
になったら再開するのかということが気になって仕方ないのです。
 コロナの状況をチェックするために、ニュースは欠かさず見て、東京
と地元のコロナ感染者数をしっかり把握。今日は何人?と聞くと正確に
教えてくれるのでした。東京で千人単位の感染者が出ていた時は、こう
きも仕方ないと思っていたようでした。
 9月になって役員さんから、今の感染警戒レベル5の状態では再開は難
しい。10月も自粛するが、警戒レベル3まで下がったら再開を考えるとの
連絡が来て、ようやく少しモヤモヤが晴れました。レベル3と言われると、
はっきりしているから見通しが立ちやすいのです。それでも、今度はいつ
連絡が来るのか、9月の終わりなのか10月になってからか、と確認は続きま
した。
 10月になり、ようやく感染者数が減り始め、警戒レベルも2に下がりま
した。そこに念願の再開メールが。10月から11月12月の予定日が書かれた
メールがあまりに嬉しすぎたのか、ゲーム機のカメラ機能で撮影し、大事
に保存していました。
 10月の久しぶりのダンス日、
 「YMCAと恋するフォーチュンクッキーと恋ダンス踊りました」
 「保健室の先生に会ってきました」
 「校長先生とお話ししました」
帰ってくると言葉があふれ、だいぶ楽しんできた様子でした。
 少しずつ、やりたいことができるようになってきていますが、まだまだ
思い通りというわけにはいかないのでしょう。
 来年もしばらく我慢が続くのかな・・・

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ハタチになりました [記事]

 先日、こうきはハタチになりました。
 誕生日の前日突然、
 「こうきくん、明日はハタチのたんじょう日です。今日で19才とおわかれ。
ハタチになります!」
と堂々の宣言。忘れていたわけではないけれど、こうきの口からそんな言葉が
出て、ハッとしました。
 こうきにとってもハタチは特別なものなのだ。わかっているんだ。
 そう言われてすぐにケーキを買いに行くことにしました。当日は、こうきの
好きなメニューと久しぶりに丸いケーキでお祝いすることにしました。
 ケーキのロウソクに火をつけ、ハッピーバースデーを歌い、主役が火を吹き
消す。こうきはうまく火を吹き消すことができなくて、いつもケーキに唾が飛
んでしまうので、
 「もっと離れて、離れて!」
 「そーっと吹くよ、そーっと!」
 家族みんな、ケーキを守ろうと必死でした。にぎやかだった誕生日の食卓を
思い出します。
 あれからお祖父ちゃんお祖母ちゃんは天国に行き、お兄ちゃんは独立して、
一緒にいる家族は減ってしまったけれど、あの頃みんなでこうきの成長を祝っ
た、あたたかい記憶は残っています。
 「こらこら、そーっと、そーっと!」
 今年も相変わらずうまく息が出せずに、唾を飛ばしそうな吹き方をしている
こうきです。
 二十年という年月。いろいろ大変なこともあったり苦しい思いもあったり、
自分自身の甘さや未熟さを反省することもたくさんありました。それでもなん
とか大勢の人の助けがあってここまで来ることができた。こうきにかかわって
くれた皆に感謝したいと思います。



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最後の子ども病院 [記事]

 養護学校の高等部になった頃、通院していたこども病院の先生に
そろそろ大人の病院への移行を考えては、と言われました。5歳から
ずっと通い続けた子ども病院。移るのは不安もあり、できるだけ長く
診てほしいと、その時は伝えました。先生からは、今とは言わないが
どこの病院がよいか少しずつ情報を集めてみましょうと話があり、
結局卒業後、先生から紹介いただいた近くの病院に移ることになりま
した。
 新しい病院に行き、担当の先生にお会いした時、
「何か困っていることはないですか」と聞かれ、
「ないです!」
と元気いっぱい答えたこうき。あっという間に診察は終わり、いつも
の薬も継続で、それから3か月ごとの通院が続いています。
 
 そして、この3月、子ども病院での最後の受診がありました。20歳
からの障害年金申請のための診断書だけは、長く通院していた子ども
病院で書いてくれることになっていたからです。
 こうきはこの日をだいぶ前から楽しみにしていました。仕事を半日で
早退して車で40分ほどかかる病院に向かいました。半年以上ぶりの子
ども病院で、しかも最後だというのでテンションも上がります。
 病院に着くと、いつものように身長体重を測り、診察室へ。担当の先
生は前の先生から変わって3年ほどですが、いつもこうきの目にじっと
視線を合わせておだやかに話をしてくれ、こうきは前から先生に親しみ
を感じているようでした。
 その後の生活の様子と診断書の話もそこそこに、こうきは話したくて
仕方がない様子です。
「子どもびょういん、また来てもいいですか。またせんせいに会いにきて
もいいですか」
 こうきの訴えに、先生はおだやかに笑いながら、
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、これからはねえ、新しい病院の
先生に相談してください」
 こうきはなかなか諦められない様子で、
「こまったら、子どもびょういん、せんせいにそうだんできますか」
「46さいになっても、子どもびょういん、先生にそうだんできますか」
「100歳になってもしんさつできますか。しんさつしつ入っていいです
か」
 立て続けに言葉を重ねます。
「きみは、なかなか、粘るねぇ」と先生。
小さい頃からずっと通っていたので名残惜しくて、と説明する母もじんわり
こみ上げるものがありますが、なんとかこのオーバースピードを抑えねばと、
「じゃあ、また病院のお祭りがあったら来よう」と新提案をしました。
「お祭りでせんせいに会えますか。しんさつはできますか」
たたみかけるこうきに、
「診察はできないけれど、きみが来るなら、先生出迎えてあげるよ」と、先生
リップサービスまでしてくださり、でも今年はコロナだからお祭りは難しいか
もしれない、去年も中止だったなどという話をして、ようやく
「いままでほんとに、お世話になりましたー」
とお礼の挨拶にこぎつけました。
 診察後は、いつものように売店でおやつと飲み物を買い、中庭のベンチで食
べました。天気が良く、ちょうど桜が咲いており、気持ちの良い日でした。
 初めて病院に来たのは5歳で、遠くの病院だからとその時はお祖母ちゃんが
一緒について来てくれたんだった。療育で言語や作業の訓練に通った時期もあ
ったし、保育園の先生が付き添ってくれたこともあった。お祖父ちゃんや妹が
一緒に来て、帰りに近くの公園の桜を見て遊んで帰ったこともあったなあ。
 いろいろなことを思い出すと感慨深く、しばらく時間の経つのを忘れました。
こうきもまた、「帰ろうよ」と声をかけても「もうちょっと」と中庭をあちこち
歩き、いつまでも病院の建物を眺めていました。

「子どもびょういん行くの、今日さいごなっちゃう」
「うんとさみしい」
「遠くのびょういん好き。また行けますか」
「困るのあってもみてくれないですか。相談もできないですか」
「うんとこまるのあっても、今日が最後です!」
 車の中、寂しい思いと自分を納得させる言葉を言いながら帰ってきて、2か月。
しばらく子ども病院ロスは続いていました。大きな声では言えないですが、あれ
から二度ドライブがてら病院の近くまで行き、一度は売店で買い物をして帰って
きました。それでやっと少し、気が収まりつつあるこの頃です・・・。

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サイレンを聞く [記事]

このところ、こうきは毎日早起きをしていました。
いつも仕事に行く時は、7時起きでも間に合うのに、6時半にはパッと
飛び起きてきます。そして、いそいそと着替えをし、外へ。線路と国道を
跨ぐ陸橋の上が目的の場所です。
「朝の7じにサイレン鳴る。夜の8じにサイレン鳴る」
いつから知ったのか、朝と夜、決まった時間になると、サイレンの音を
聞きに表に出るようになりました。
「毎月15日、サイレン鳴る」
「9月は、11日と12日と13日と14日と15日、サイレン鳴る」
「3月は、1日と2日と3日と4日と5日と6日と7日と8日と9日と
15日、鳴る!」
こちらは全く知らなかったのですが、どうやら防災サイレンが一年のうち
決まった日に鳴ることになっていて、こうきはそれを事細かに把握している
ようなのです。
「どうしてわかるの?」尋ねると、
「わかる。知ってる!」と自信ありありです。
寄宿舎に入っていた頃、朝夕それを楽しみに窓辺で聞いていたらしく、
その記憶が鮮明に残っていたのでしょう。こうきの特性として、日時と曜日
の記憶に長けており、何年何月何曜日に何があったのか、ということは、
しっかり頭に刻み込まれるようなのです。

 それにしても、陸橋の上でどんなふうにサイレンを聞いているのか、近所
とはいえ、夜に出ていくのは心配です。車にぶつからないように、蛍光テー
プを腕に巻いて行かせていますが、何か変わった行動をして不審者と思われ
たらいけない、という別の心配も頭をよぎります。ある時、一緒に見に行く
ことにしました。
 夜、7時50分を過ぎると、もうソワソワして外へ。いそいそと走り出す
ので、
「ゆっくりだよ。ちゃんと信号機を見て渡るんだよ」などと声を掛けます。
 陸橋の上まで歩いて来ると、冷たい風が地上より強く吹いているように
感じます。一面に眺望が開け、遠くまで街明かりが見えます。
やがて、ウー、カン、ン、カンカン、とサイレン音とともに、いっせいに
あちこちの消防の半鐘が鳴り始めました。四方を見渡すと、あちらこちらで
火の見やぐらの赤い灯が点滅します。
ウー、カンカン、ウー、カンカンカン、
サイレン音は、風と共に暗い夜空に響き渡ります。こうきは自分用の古い
スマホを持って、その様子を一心に撮影していました。数分の間、それは
鳴り続き、そして止みました。
いっせいにまわりの世界が動き、押し寄せ、そしてぴたりと終わる。その
光景を目にし、なるほど、と思いました。こうきがこれを楽しみにしている
理由が、少しわかるような気がしました。

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朝も一人で [記事]

 こうきは、10月から朝も一人で歩いて仕事場に通うようになりました。
 就労後三か月のモニタリング会議の時に、「朝もあるきたい」という
本人の希望があったからです。
 朝一人で行ってくれることは、母にとって、とても助かります。
 「36、1度です!」
 このコロナ下、毎朝体温を測りノートに記入して持参します。うっかり
数字を間違えて書くと、よく覚えていて訂正が入ります。
 朝食を食べ、9時になったらマスクとハンカチを持って「いってきます!」
勢いよく出ていきます。
 帰り道は、行きの道とは別ルートで、お気に入りの公園に寄って帰って
くるようですが・・・、そこは河原にほど近く、以前クマが山から下りてきた
こともあり、クマ出没注意の看板が立っています。
 「あんまりのんびりしてると、クマでるよ」
少しおどかすと、
 「くま、ガブリしますか。ち、でますか」
 「うーん、あんまり遅い時間にウロウロしない方がいいよ。早く帰っておいで」
と言ってありますが、そちらのルートを通るのはやめられないようです。
 4時過ぎに家に帰り、私が帰るまでおやつを食べたり、テレビやDVDを見て
のんびり過ごしているようです。
 なんとか夕方の留守番ができるようになったことに、母はとてもほっとして
います。


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初めてのお給料 [記事]

 少し前になりますが、はじめてのお給料が出ました。
 4月1日から、B型事業所に通い始めて1か月半。
 金額にしたら、一万円ちょっとですが、それでもこうきにとっては、
はじめて自分で稼いだお金です。
 嬉しくて、家に帰ると、茶封筒に入ったお金を何度も出しては眺めて
いました。
 親だって、あんなに大変だった子どもが、お金を稼いで帰ってくる日が
来るなんて想像もつかなかったですから、嬉しいことこの上ない。
 一緒に眺めてはニヤニヤと喜びをかみしめていました。

 お給料を見たら、やっぱり自分の財布に入れて持ち歩きたい。
 いっぺんに持って外に出るのはキケンだから、少しずつね、ということ
にしたのですが、「なんか、買いたい」「つかってみたい」と言うので、
じゃあ好きなものを買いに行こう、ということになりました。
 週末、中古ショップに行き、好きなレンジャー物のDVDが並ぶ棚で、
あれこれ物色。本当は、「ゴーカイジャースーパーライブ2009」の
DVDが欲しかったらしいのですが、店にはなく、それはまた今度探そうね
ということになりました。代わりに、吟味して選んだレンジャー映画の
DVDを持ってレジへ行き、財布から自分のお金を出して払いました。
なんとも嬉しいことのようでした。
 
 それからというもの、近所のスーパーでジュースやおやつを買ったり、
事業所で販売している焼き芋を買って帰ったり、散髪代を自分で払ったり、
自分で稼いだお金を使うことを楽しんでいます。
 時に、スーパーでの買い物代も自分で出そうとするので、「いいよ、いい
よ、お金は大事に使うんだよ」と言いますが、どうやら、最後まで使い切り
たいという気持ちもあるようです。使い方は、これから約束を決めていった
ほうがよさそうです。
 
 「らいげつ、またお給料もらえますか」
 「9まんえん、もらえますか」
と、こうきはニヤニヤ。お決まりの質問です。
 「ちょっと、9まんえんは、無理かもねえ」
 「お母さんだって、そうそうもらえないよ」
 お決まりの返しをし、二人で笑っています。


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社会人になりました! [記事]

 4月1日から、こうきも社会人になりました。
 仕事先は、家から歩いて20分ほどの場所にあるB型の福祉事業所です。
 
 昨年、高等部3年生での進路の決定には、いろいろ迷いもありました。
高等部の1・2年生で実習に行った場所は三か所。ただ、その中から選ん
でよいものか、他にもっとこうきに合うところはないだろうか、とだい
ぶ悩んでしまいました。
 学校からは、3年生での実習先は、ほぼ決めるつもりで臨むように言わ
れていたので、それまでに親も個人的に気になる事業所をあちこち見学
していました。
 でも、五・六か所、回ってみて思ったのは、ぴったりくるところって
なかなかない、ということ。
 決める時の大きな条件は、仕事内容と通勤手段。
 できれば、こうきに合った仕事、できそうな仕事があって、無理なく
過ごせることが大事。そして、なるべくなら、送迎があるか、自力で通え
るところが望ましい。
 でも、その時はまだそんなことも全然ピンと来ず、何を基準にして決め
ればよいのか、暗中模索の状態でした。
 
 将来、親亡きあとのことも考え、入所施設がある大きいところがよいだ
ろうかと、最初の実習先を少し大規模の事業所にしてみました。
 建物は広くて新しく、仕事内容も様々にあり、昼食に暖かい給食が出る
というのは魅力的でした。でも、50人以上もいる大所帯なので、職員さん
の目が一人一人にしっかり行き届くというわけではありませんでした。
利用者の方々はかなり自立しており、お互いに会話を楽しんでいることも
あって、職員の方はそれほど中に入らなくてもよさそうな雰囲気でもあり
ました。
 こうき自身は、給食は美味しいし外に出てやる仕事もあったので、まあ
まあ気に入ったようでしたが、初めての場所と仕事内容でなかなか落ち着か
なかったり、小さなトラブルもあったりして、こうきにとっては難しいの
かもしれないなと感じました。事業所の方や先生からのアドバイスもあり、
もう少し小規模の場所で、職員さんと多くやりとりができるところの方が
合うのかなと思うようになりました。
 もう一か所、こうき自身がどうしても行きたくてずっと言い続けていた
事業所がありました。先生がその意思をくんで、夏休み前に特別実習を入れ
て下さいました。
 そこは、養護学校の敷地の一角にあり、学校にとても思い入れのあるこう
きは、学校に通っているような気分で仕事ができるというのが大きな決め手
でした。
 実は2年生の時に一度実習をやっていて、場所や職員の方には慣れており
安心感はあったのですが、ただ一つ心配だったのは、仕事内容でした。基本
的には、室内で一日、豆の選別作業をコツコツとやり続けるという、とても
根気のいる仕事でした。事業所の方からは5日間の実習の様子を見たいと言
われ、こうきも「がんばりたい」ということだったので、学校の先生は特別
に豆の選別の練習もして下さいました。ただ、実際実習をしてみると、やは
りこうきにとって厳しいものだと判断されたのでしょう、後になってお断り
の連絡がきました。
 こうきは多少未練があったようですが、大好きな外に出かけての仕事がな
いのは、本人にとってつらいかもしれないと思っていたので、逆によかった
のかもしれません。いろいろな場所で実習をしてみたから、そういう判断が
できた。やってみないとわからないこともある。よい勉強になりました。
 
 そして、今通い始めた場所は、
 家から徒歩で20分ほどにある、10人ほどの小さな事業所。
 仕事内容は、外に出かけてのトイレ掃除や農作業や販売。室内では、受託
した作業や小物づくりなどをしますが、こうきには難しいところもあるので、
できることを選んでやらせてもらっています。
 所長さんからは、すぐには難しいけれど長い目で見ていけばと、言ってい
ただき、なんとか毎日通っています。
 社会人になって、何といっても新たな挑戦は、自分で歩いて仕事場に通い
始めたこと。
 最初は心配もしたのですが、道順には強いという特技(?)があるので、
今は帰り道だけですが、元気に帰ってきます。
 「ひとりで歩いて帰るの、すきです!」
 社会人一年目が、ゆっくりとスタートしました。
 

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さよなら「放デイ」 [記事]

 3月31日で、こうきは学生でなくなりました。
ということで、放課後デイサービスもこの日で終了。
 「放デイ」は、こうきにとって学校が終わったあとや土曜日、長期休みの大切な
居場所でした。
 こうきが小学部に入学した頃は、まだ「放デイ」はなく、「レスパイト」と呼ば
れる障害のある子どもの預かりがありました。これは、家族の休息を確保するため、
という意味合いが強いもので、まだその数がとても少なく、限られたものでした。
 低学年の時は、近隣で預けられるところが一か所だけで、大人数がその事業所に
殺到してしまう状況もありました。そこから、そうした預かりの場所が少しずつ増
え始め、放課後デイサービスという枠組みもできて、子どもに合った場所をこちら
で選ぶことができるようになりました。
 結局こうきが最後までお世話になっていたのは、三ケ所。
 どの場所もそれぞれに違った特長がありました。 
 ひとつは、とにかくよくお出かけをしてくれる家庭的な事業所。いつもあちこち
の公園や市の施設などに連れて行ってくれ、体を動かす時間を多く取ってくれる。
出かけるのが大好きなこうきにとってはとても嬉しい場所でした。
 もう一か所は、外に出かけることは少ないけれども、少し広めの建物のなかで、
様々な活動を計画してくれる事業所。調理をしたり、工作をしたり、体操教室をし
たり、四季の行事を楽しんだり、様々な経験をさせてくれる場所でした。
 三ケ所目は、中学部生以上の子どもたち対象で、もう少し広い体験ができる事業
所でした。
カラオケやボウリング、映画、キャンプやいちご狩りなど、なかなか親が連れてい
けないような場所に連れて行ってくれ、少し大人の社会経験をさせてくれたのは、
貴重なことでした。
 どの場所の職員の皆さんも、とてもあたたかく、こうきにとって本当に居心地が
いい場所だったのだと思います。どの場所もこうきは大好きでした。
 「3月31日、いけなくなりますか」
 「4月から、遊べますか」
そんな言葉が何度も出ていました。
 それぞれの場所での最期の日、
 「8年間(6年間)、おせわになりました!」
と大きな声であいさつしていたこうき。
 職員の方から、たくさんの写真が貼られたボードやアルバム、寄せ書きなどをい
ただいて思いました。
 それぞれの場所でこうきは、私が思うよりはるかに長い時間を過ごして、たくさ
んの思い出があるのだなあ、と。
 楽しく過ごしていた場所に突然行けなくなる。この18歳の変化というのは、
想像以上に大きなものかもしれません。
 これから、夕方の時間や週末の余暇をどう過ごしていこうか。
 わかってはいたけれど、やっぱり「放デイ」の存在は大きかった。ありがたい場所
だったなとつくづく思うのでした。

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