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最後の卒業式 [記事]

 養護学校高等部の卒業式がありました。
 新型コロナウイルスの影響で、式ができるかどうか心配していましたが、
一週間ほど前に学校からお知らせが来て実施とわかり、ほっと一安心。
 たださすがに、在校生や全ての先生方に見送られての卒業式は叶いません
でした。小学部、中学部、高等部で完全に時間をずらし、卒業生と保護者
のみの参加。式はクラスごとに教室で、できるだけ短縮して行う、という
ことになりました。
 
 当日、こうきはお正月に買ったスーツ姿です。177cmの背の高さに
スーツを着ると、なんだかとても大人びて見えました。
 昇降口前に集まった卒業生たち。男子は凛々しいスーツ姿、女子は華やか
でかわいらしい袴姿で、見違えるようです。思い思いに写真を撮ったあと、
こうきはいつものように、昇降口からロビーを小走りし、階段を駆け上がる
ようにして教室へ。親は近くの控室で待機です。
 控室では、高等部三年間の写真がプロジェクターに映し出されました。
それを見ているうちに、いろいろなことがよみがえってきて、じんわり熱い
ものがこみ上げます。
 その間、子どもたちは、クラスで式の練習や最後の一人一言発表などを行
ない、やがて、式が始まるという呼び出しがありました。
 親は教室まで移動し、廊下から教室の中の子どもたちの様子を見るという
形です。
 教室の廊下の窓は外され、開放的で中が見えやすいようになっていました。
教室の壁には、クラス8人全員と担任の先生方の似顔絵があちこちに貼られ、
手作りのあたたかな雰囲気がありました。そこからは、先生方の心遣いが伝わ
ってきました。

 やがて、校長先生が卒業証書を持ってやってきました。
 教室で一人一人に手渡していきます。
 こうきも、名前が呼ばれると、「はい!」と大きな声で返事し、堂々と証書を
受け取りました。
 証書の授与が終わると、校長先生から卒業生へのビデオメッセージが流されま
した。今回の「特別な卒業式」についてのお話と未来への励ましの言葉でした。
 そして、担任の先生方からも最後の言葉がありました。みんな背筋を伸ばして
真剣に先生の話を聞いていました。最後に、子どもたちと保護者から先生への
お礼の記念品を渡し、クラス全員で写真を撮ってそのまま終了となりました。
 練習していた呼びかけや歌はなくなり、30分ほどの短い式で少しあっけない
感じがしたけれど、今の状況では、卒業式ができ、子どもたちの晴れ姿が見られ
ただけでも、ありがたいことでした。

 校舎を出て、先生たちが列を作って見送ってくださる中を歩き、帰途についた
とき、強烈に寂しさがこみ上げました。
 こうきもこれで卒業か・・・。
 小学部入学から、十二年間も通った養護学校。
 本当にいろいろなことがありました。
 小学部の頃は教室にいられずに、すぐロビーに飛び出していたなあ。
 様々な活動も、落ち着かなくて最後まで参加することができなかったのが、今で
は嘘のようです。
 悩んだり、涙を流したり、普通の子に比べたら、人一倍大変で手がかかり、でも、
人一倍喜びも大きかった十二年間でした。
 難しいことはたくさんあったけれど、よくここまで成長してくれた。
 伸び伸びと楽しく過ごせた養護学校での日々。積み重ねてきた時間のおかげです。
 これまで、こうきに関わってくれた全ての先生方に、心から感謝をしたいと思い
ます。

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突然のおわかれ [記事]

 養護学校での最後の参観日の前日のことでした。
 夕方のニュースを見ていると、突然、新型コロナウイルス対策で
全国の小中高、特別支援学校の臨時休校を要請、という速報が流れ
ました。
 「え~っ」と思わず声が出たのは母。
 「やったー!」と顔が輝いたのは、高校生の妹。
 こうきは寄宿舎に入っていたので、様子がわからず。
 驚きました。本当に、全国一斉に休校になんてなってしまうのか。
 期間は来週から春休みの始まるまでの二週間だということで、
そうしたら、こうきの残りの学校生活は終わりになってしまうじゃ
ないか。
 モヤモヤした気持ちのまま、翌日の参観日に行くことになりました。

 本当なら、朝からクラス参観、学年や地区PTAの会、卒業生の親の
奉仕活動などが組まれていたのですが、全て中止。午後の音楽学芸会
だけの参観となりました。
 様々な音楽に合わせた歌とダンス。最後のステージで、どの子も
生き生きと楽しそうに体を動かしている姿を見て、なんだか胸が
いっぱいになりました。
 こうきは、南中ソーランのグループでした。こうきにとっては
難しい踊りでしたが、一生懸命ほかの子と同じ動きをしようと頑張
っていました。こうきなりの精一杯の踊りを目に焼きつけ、拍手を
送りました。

 学芸会は短縮されて終わり、先生たちはどこか慌ただしく動き回
っていました。休校のことを尋ねても、まだ最終決定がされていな
いとのことでした。
 帰りの会が始まったところで、突然、校内放送が入り、校長先生の
声が響きました。
 「みなさん知っている通り、今新型コロナウイルスという病気が
流行しています。とても残念ですが、みなさんの健康を守るために、
来週から春休みまで、学校はお休みになります」
 そんな内容の話を、校長先生は子どもたちにわかるように、ゆっくりと
丁寧に説明してくれました。
 でも、ここから卒業までの二週間、最後の学校生活を楽しもうとして
いた子どもたちです。
 最後のお出かけとなる校外学習や、クラスでの食事会や、お別れ会など、
全てがなくなってしまいました。別れを惜しむ間もなく、突然、学校が
終わってしまうことに、悲しくて悲しくて、涙が止まらない女の子も
いました。
 こうきはさて、どうだろう?
 昔からこだわりが強く、突然の予定の変更にはなかなか対応できず、
混乱してしまうことがよくありました。学校や寄宿舎が大好きなので、
今の事態を受け入れることが難しいのでは、と心配でした。
 校長先生のお話のあと、担任の先生たちからも、お話がありました。
 「突然のことで、先生たちも何と言ったらいいかわかりません。学校が
これでお休みになって、残りの学校生活がおしまいになってしまうことは
本当に悲しいです。でも、みんなの健康を守るために、きちんとお休み
することが大事です」
 「みんな、コロナウイルスがうつらないよう、しっかりと手洗いや
うがいをして、なるべく家で過ごしてください」
 先生たちも、ただそう言うしかないという様子でした。
 すると、こうき、すかさず手を挙げて、
 「ハイ、家でテレビを見てすごします!」
 しんみりした空気を破るように、大きな声で宣言です。
 意外にあっさりと切り替えができているんだな。
 少し安心しました。

 あれから一週間。
 休みになった子どもたちの行き先として、放課後デイサービスで
日中の預かりをしてくれるというのはありがたいことでした。
 養護学校でも、共働き家庭などに対しては、昼間の受け入れをし
てくれるという話がありました。食事はお弁当になりますが、寄宿舎
での泊りも可能ということでした。
 私が仕事に出てしまうので、こうきもどこかに行ったほうがよい
かと思ったのですが、あれほど好きだった学校に、
 「行きません」
とかたくなです。
 「ずっと家にいるのはつまらないよ。行ってみる?」
 何度聞いても、
 「家で、ダラダラします!」
と堂々の宣言。
 こたつにもぐってテレビを見たり、昔の写真を見たり、家の中を
ウロウロしたり。
 本当に毎日、妹とダラダラ過ごしています。
 でも、外に出かけないと気が済まなかった頃のことを思うと、一日そんな
風に過ごせるようになったことも成長なのかな・・・。


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初スーツ [記事]

 いよいよ、養護学校も卒業間近となりました。
 卒業式に、何を着るんだろうか、と考えたとき、さて、どうしようか。
今まで何度か、卒業する先輩たちを見てきました。男子はスーツ、
女子もスーツや袴姿で、みな見違えるように立派でした。
 それを考えると、中学部の卒業式のように、お兄ちゃんの制服で間に
合わせる、というわけにはいきません。
 やっぱり、スーツか。
 ただ、新しくスーツを買っても、果たしてどれだけ着る機会があるだ
ろうか。冠婚葬祭や、成人の祝いには着るかもしれないが、就活は必要
ないし、仕事で着ることもきっとないだろう・・・などと考えると、
家にあるお兄ちゃんのスーツを借りてもいいような気になります。
 それでも・・・。
 やっぱり一着は買ってあげよう。
 あまり着ないとしても、これは大人になったお祝いとして。
 お正月に、一緒に買いに行くことにしました。

 デパートでスーツを試着した時。
 いつも、トレーナーや腰がゴムのズボンを履いているので、まず
着方がわからない。自分でシャツのボタンをはめられないし、ズボン
のホックが留められない。なんとかこちらが手伝って着せてみても、
こうきは堅苦しいスーツの着心地に、体がくねくね。
 裾の長さや腰回りを店の人が見てくれるというのに、早く脱ぎたくて
たまらない様子です。
 「きちんと立たないと、卒業式に着る服はないよ」
 「社会人になれないよ」
脅しの言葉に、
 「はいっ、ちゃんと立ちます!」
 急に直立不動になって、そのままじりじりと我慢です。裾の長さを決め、
腰回りも詰めてもらうことにして、ようやく終了。
 「卒業式に、かっこいいの服、着ます」
 後で本人も、まんざらでもない様子で言うのでした。

 そういえば、18歳になった昨年。選挙権のお知らせと、自衛隊入隊の
勧誘はがきが届いて、とても不思議な感じがしたんだっけ。
 こうきにとってはたぶん、あまり関係のないお知らせだったのかもしれ
ないけれど、この子も18になったんだ。
 まだまだ子どもみたいに思っていたけれど、年齢的にはもう大人に近づい
たんだなあ、としみじみ感じたのでした。

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言ってはいけない [記事]

 時々イライラしてしまうことがあります。
 希望が叶えられないとき。
 難しいことをやらなければならないとき。
 自分の行動について注意されてしまったとき。
 そんなときに、あまりよくない言葉、外でおおっぴらに言ってはいけないような
言葉を言うことが、中学部後半から出てきました。
 どこでそんな言葉を覚えてきたんだろう、と初めは思いましたが、本人はあまり
悪気はなく、深い意味もなく、それが口癖になってしまっているような感じでした。
 「バカ」のような、ののしり言葉と同じようなニュアンスで使っていたのかもしれま
せん。それを言うと、まわりが眉をひそめる。そんな反応を試すようなところもあ
りました。
 ただ、それは女性が聞いたら「引いてしまう」たぐいの言葉だったので、どうしたら
よいか、ずっと気になってはいました。(実際、妹からは完全に嫌がられていました。)

 先日、公園を散歩しようとしていたとき。
 まわりに人がたくさんいる中で、その言葉を言ってしまいました。それも、いつもの
よく響く声で。
 その瞬間、恥ずかしさとともに、怒りがこみ上げました。
 それは、こうきの質問に私がちゃんと答えなかった、自分の意思を汲んでもらえな
かった、というイライラから出たものだとわかりました。しかし、咄嗟にこれを言ってい
たらだめだ。この先この子のためにはならない、と感じました。
 「それ言ったら、もう公園には来ないよ、」
あえて怒りをあらわにして、公園内を歩き続けました。
 ずいぶん歩いたあと、ベンチのあるところまで来ると、こうきを座らせメモ帳を取り
出しました。
 さっきこうきが言った言葉を書き、大きく×を書きました。
 そして、「ぜったいに、いわない。はずかしい」とも書きました。
 「うち」
 「がっこう」
 「きしゅく」
 「そと」
 「しごと」
全部に大きく×を書きました。

 それから、もうひとつ気になっていた言葉。
 「みんな、しぬ」
 「ごにん、しぬ」
 「○○が、しぬ」
も×、と書きました。
 お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが亡くなり、死というものを身近に感じるようになった
こうき。
 「おにいちゃは、なんさいまで生きますか」
 「おかあさんは、100さいまで生きますか」
 「こうきくんは、900さいまで生きます!」
などと、繰り返し言ってきたり、
 「おかあさん、しんだら、こうきくんひとりぼっちですか」
 「みんなしんだら、このうち、ひとり住んでもいいですか」
とあからさまに言ってしまったりする。
 「じしんきたら、みんなしんじゃいますか」
というのを口癖のように外で言っていたこともありました。
 それは、こうき独特の直球でユーモラスな表現だと思って、そのままにしてきました。
先のことがとても気になって、確認したくなるのもよくわかる。
ですが、言われた方は、やはりいい気持はしません。
これも、封印することにしました。
 ちょっとかわいそうですが、
 「このことば、いったら、こうえん ×
               おでかけ ×」
と書きました。
 出かけるのが大好きなこうき、あわてて、「もう、いいません!いわない!いわない!」
必死で約束をしていました。
 
 あれから、一度もこれらのことばを聞いていません。
 本人は、とても素直でまじめなのです。
 もっと早く、いけない言葉だとはっきり示してあげればよかった。
 親の反省です。

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買い物、大好き! [記事]

 毎週金曜日、学校と寄宿舎生活から帰ってくるとすぐに、
 「かいもの、いってきます!」
自分の財布を持ち、勢いよく家を出て行くこうきです。
 幸いなことに、家の近所にスーパーがあり、歩いて買い物に行くにはとても便利。
いつも行っているスーパーで、定員さんも顔見知りなので、その点は安心です。
 買うものはたいてい、
 大好きな炭酸ジュース。
 牛乳2本。
 お気に入りのお菓子かアイス。
 合計700円から800円くらいで買えるものなので、千円札を持たせることが多い
のですが、千円あると千円使い切るまで他のものを買ってしまうので、最近は買う
ものリストを書いて確認するようにしています。
 特にメモを持っていくことはないのですが、言われたものをちゃんと買ってくるよう
になりました。おつりとレシートを確認してオッケーです。
 
 昨日は、いつもの買い物に加えて、寄宿舎の歯磨き粉が終わってしまったので、
どうしても買いたい、と言って出て行きました。
 行かせてから、持たせたお金が足りなかったのかもしれない、と心配になりました。
いつもより帰りが遅いような気もします。お金が足りないときに、品物を換えたり、
買わないという選択をすることができるだろうか。パニックになっていたら店の方に
迷惑がかかると思い、慌ててスーパーに走りました。
 スーパーに着いてみると、レジはとても混んでいて、その行列を見ても店内を一周
してもこうきの姿はありません。すぐに引き返して家に戻ってみると、入れ違いだった
のか、ちゃんと買い物を終えて、帰っていました。 
 「お金足りたの?」焦って聞くと、
 「たりました」
となんでもないように答えるこうき。
 「いくらだった?」
 「930円でした」
後でレシートを持ってきて見せてくれました。
 「おつりは0円でした」
ほう、ぴったり出せたんだね。ほっとして尋ねると、
 「だしました」
と少し嬉しそう。
 その満足気な顔を見て、一人で買い物に行けるようになるなんて、昔は思いも
よらなかったな・・・と母はしばし感慨にひたったのでした。

 もともと、お金の種類と数え方については、小学部の頃から先生に教えてもらって
いました。1円や10円や100円が並んだ絵を見ながら、いくらになるか答えるような
プリント学習を繰り返しやり、そのおかげで、10円が5つで50円、100円が6つで
600円、というくらい簡単なことはわかっていたようです。
 ただ、それと実際のお金がつながり出したのは、中学部になり、自分で自動販売機
で飲み物を買う経験をしてから。お金を入れてボタンを押すと、好きなジュースが出て
くる。これはとても画期的だったらしく、自販機に興味を持ち、あちこちの自販機を巡って
観察したり、飲み物を買ったりすることに夢中になりました。
 そのうちに自分の財布を持つようになると、今度は自分の財布から小銭を出して払う
楽しみに目覚めました。自分の飲み物やおやつは自分で支払いたい、と私と別会計で
買い物をしたがるようになりました。こちらが会計で支払おうとすると、横からジャラジャ
ラと自分の小銭を出してくることもしばしば。気前がいいというか、欲がないというか。
 「よく見て、お金を出すんだよ」
そんな時は、一緒に数えながら出してみたりもしました。

 とにかく、一人で買い物をしてみたい、という気持が強いので、週末に一人でジュースを
自動販売機に買いに行く、ということを続けていました。
 ある時、自販機でジュースを買うより、スーパーで買う方が安くてたくさんの量のが買え
るよ、行ってみる?何気なくたずねると、
 「行きます!行きます!」
ものすごい積極性でスーパーまで超特急。難なく買ってくることができました。そのうちに
ジュースだけでなく、牛乳やアイスクリームなど、頼んだものを買ってこられるようになりま
した。
 この間は、鍋料理をするのに白菜が足りず、わかるかな、と思いつつ頼んでみました。
帰ってきたこうきが下げてきた袋の中身は・・・キャベツでした。
 惜しかったね。
 半分のでいいよ、という言葉は頭に残っていたようで、ちゃんとキャベツ半分がラップに
くるまれているものを2個。ちょっと小さめだったから、2個買ってみた、という感じ。
一応自分で考えて、いろいろと判断しているようです。

 失敗しながら、学ぶことは、多い。
 今のうちだから、できることなのでしょう。
 分からないときには人に聞く、ということが、こうきはできそうなので、買い物の経験も
少しずつ増やしていくことが大切だと感じています。


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なりたいもの [記事]

 「こうきくん、せんせいになりたい。」
高3になってから、そんなことを言うようになりました。
 「こうきくん、せんせいになりたい。」
思いがけない言葉に、母は嬉しいような、なんとも言えない気持ち。
その言葉の理由はなんとなくわかるのです。
養護学校卒業まであと1年。いよいよ学校とのお別れが近づいてきているから
なのです。
最近のこうきは学校にこだわり、休みの日も学校を見に行くと言ったり、職場実習
の行き先を学校のすぐ近くの場所にしたがったり。
 「卒業したら、〇〇(学校のある地区の名)に住む。〇〇にあるマンションに住みたい。
ひっこししたい。」
などと言っています。
学校を離れるのはさびしい。
学校に通えなくなるのはさびしい。
だから「せんせいになりたい」なのです。
何度も何度も言うので、
 「そうなんだね。でも学校の先生になるのはむずかしいよ。たくさんお勉強しなくちゃ
いけないんだよ。」と母。
 「だいじょうぶ。こうきくん、おべんきょうたくさんする。」
 「じ、いっぱいかきます!」
 「こうきくん、がんばって、べんきょうする!」
本当にわが子ながら、けな気だなと思います。
 「こうきくん、きしゅくしゃのせんせいになりたい。」
 「なりたいです!」
しばらくそんなことも言っていました。
寄宿舎にもずっといたいというのが、こうきの希望なのです。
寄宿舎が大好きで、今年も希望を出し、あと1年寄宿に入ることになりました。
こんなに学校が大好きなのに、来年の3月には離れなくてはならない。
どんな風にさよならをしていけばいいのか、学校の先生とも話をしていますが、
頭が痛いところです。

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バスケの試合 [記事]

 高3になって、学校のバスケ部に入ることになりました。
 バスケ部は養護学校唯一の部活動です。
 中学部から参加できるのですが、バスケなんてとてもとても、と母は思い込んでいました。
それに、高等部からは寄宿生活も始まったので、そちらの方が忙しいだろうと躊躇して
しまっていました。
 しかし、今年は4月に案内が来た時に、何気なく聞いてみました。
 「バスケの部活やる?」
すると、こうき、
 「やります。バスケ、やってみたい。バスケの練習、する!」
と途端にやる気満々の様子。
 寄宿舎に入っていても、夕方の練習には参加できると聞き、とりあえず体験だけさせて
みることにしました。
 練習は、火曜日と水曜日の週二回、放課後5時まで2時間ほど。とにかく本人張り切って
やっているようで、体験からいつの間にか毎週の練習に参加するようになりました。
 平日は寄宿舎生活なので、バスケの練習の様子は全く分からず、時々「バスケの練習どう?」
と聞くと、
 「練習がんばりました!」と得意げな様子。
 「バスケ、むずかしくない?ちゃんとやってる?」の問いにも、
 「ちゃんとやってる!シュート、がんばってます!」の答え。
 一度見に行きたいと思いつつ、なかなかその機会が持てずに夏休みに入ってしまいました。

 夏休みには、養護学校同士のバスケの交流大会があり、こうきも試合に出たいと言い始め
ました。本人の熱意に押され、参加の希望を出してしまったのですが、それでも心配になって、
夏休みの練習を送迎がてら見に行くことに。
 練習を見て驚きました。
 レベルが高い・・・。この学校に通っている生徒と思えないくらい、動きがよく、技術も高いの
です。背が高くしっかりした体格の彼らがプレイしている姿は、普通高の生徒となんら変わりが
ありません。その一番上手いグループの子たちは、チャンピョンシップAチームとして出場する
ようで、バスケ経験者と見られる先生方が本気になって練習相手になっていました。
 一方、こうきはというと、予想はしていましたが、ボールを受け取るのもやっと、といった感じの
動きでした。
 それでも、シュート練習となるとみんなの列に並んで、順番が来るとドリブルは(できないので)
せずにゴール下まで歩き、シュート。打ったボールは大きすぎたり、小さすぎたり。力を加減して
ゴールに入れるというのは、とても難しいことのようでした。
 こうきのような感じの子は他におらず、見ている方はこれで大丈夫なのか、と思ってしまったの
ですが、本人はいたってマイペース。
 みんなと一緒に練習できるのが嬉しくて仕方ない、というように一生懸命なのでした。

 試合当日、母は仕事を休み、見にいくことにしました。こうきの出るスポーツの試合を見る
なんて機会はそうないだろうと思ったからです。
 こうきは、チャンピョンシップよりは少しスピードがゆっくりの、フレンドシップBチームに入れて
もらって試合に出ることになっていました。とはいえ、他の4人のメンバーはこうきとは比べもの
にならないくらい、しっかりと「バスケして」います。
 こうきは、最初から自分方のゴール下に立っていました。見方からパスを受けて、そのまま
シュートするという役割です。
 母は、同じチームの子のお母さんと一緒に観戦。フレンドシップチームとはいえ、なかなか
白熱した試合で、自然と応援にも熱が入ります。どの子もしっかり動き回ってボールを取りに
行き、奪えばドリブルでどんどんゴールに攻め入っていきます。
 なかなか激しい試合の中で、ゴール下に立っているこうきに、ボールが渡ることは難しいよう
でした。でも、先生から教えてもらっているのか、見方がボールを持つと、ゴール前で両手を
挙げてぴょんぴょん。
 一応ここにいるぞ、アピールです。
 その姿に、「お、なかなかいいじゃない」と思ってしまったのは、親だけでしょうか。
 一緒に観戦していたお母さんのお子さんの活躍もあって次々に点数が入り、チームに少し
余裕が出てきました。そんな中、自分でドリブルしてシュートを決められそうな場面でも、
ゴール下のこうきにボールをパスしてくれる、優しいチームメートたちの姿がありました。
 こうきはなんとかそれを受けて、シュート。
 ただ、ボールは大きくそれて、何回かのチャンスを決めることはできませんでした。

 結局、チームは一勝二敗。
 先生方は真剣なアドバイスを送り、それを聞く生徒たちの姿も真剣。真夏の体育館はとても
暑く、汗を拭き拭き、たくさん水分を摂りながらの試合でした。
 そして、表彰式では、学校ごと思い切り力を出し合った仲間たちの輪がたくさんありました。
 どんな形であっても、みんなと同じように試合に出て、そんな輪に加われたことが、こうきに
とって本当に嬉しかったようです。
 部活動で一緒に練習させてもらい試合にも出させてもらった。そんな機会を与えてくれた
先生方や仲間に感謝、の一日でした。
 「次の試合も出ます!」
 こうき、大会が終わるなりの宣言です。やる気だけはあります。
 だけど、また出ても大丈夫なのかな・・・?


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おわかれ会 [記事]

 こうきにとって、近しい人の死は、お祖母ちゃんが最初でした。
 その頃こうきは、小学部の四年生で十歳。身近な人が、それも昨日まで元気だった人が
突然いなくなるというのは、大きなことだったと思います。
 それは私も同じで、自分も混乱する中、どのようにこうきにそのことを伝えたらいいか、
迷いがありました。
 また、人が大勢集まるお通夜や葬儀にこうきが出てもよいものか、そもそも皆と一緒に
ちゃんと出られるのだろうか、というのも悩むところでした。
 当時のこうきは、多動全開中。初めての場所で、静かに落ち着いて座っているというのは、
とても難しいことでした。
 学校の担任の先生に、電話で相談してみると、
 「これが合っているかどうか分からないけれど、私の今の感覚で言うと、こうきくんは、
ちゃんと区切りをつけてあげた方がいい。お祖母ちゃんとはお別れだということが納得できた
方がいい」
とおっしゃるのです。
 その言葉になんだか心強くなり、決めました。
 「よし、できるだけ出られるように考えていこう」
 さらに心強かったのが、こうきが四年生になって行き始めたタイムケアの事業所の方。
その方は、ご自身も障害のある息子さん育てている経験から、冠婚葬祭や兄弟の行事の際の
家族へのケアに理解のある方でした。
 相談の末、通夜の日はタイムケアで預かっていただき、火葬場は短時間だから、ケアなしで
家族と一緒に参列。葬儀は付き添いをしていただくということに決まりました。

 お通夜の日は、夕方から親戚が大勢家に集まり、納棺から後の食事までとてもあわただしく
過ぎました。あれこれ神経を遣わなければならないこともたくさんあって、こうきを預かってもら
ったのは正解でした。結局、お通夜が終わったのが夜9時過ぎ。夜の時間帯の特別な預かりの
上に、家まで送り届けていただいたのは、本当にありがたいことでした。
 次の日、午前中は火葬場へ。
 なんとか親戚に混じってバスに乗り、峠の入り口の火葬場に着きました。
 こうきには、「明日はおばあちゃんのおわかれ会します。こうきも出ます」と伝えてありました。
 おばあちゃんの棺にみんなで手を合わせて、棺が炉の中に入っていく。
 「おばあちゃん、さよなら。ばいばい」
 手をふってそこで、こうきの中でのおわかれ会は終わったのかもしれません。
 それから、とたんに落ち着かなくなり、館内を探索し始めました。
 気がつくと、後から焼き場に来た方たちのところへ走っていき、棺のまわりで何か騒いでいます。
 「ダメっ、こっちに来なさい!」
 あわてて飛んでいき、制止しました。
 すると、こうき、身をよじるようにして嫌がり、そのまま軽いパニック状態になり、ますます大声を
止められなくなりました。
 親族の方は控え室へと言われていましたが、とてもそんな場所でゆっくり過ごせるとは思えま
せん。仕方なく、こうきの手を引いて外に出ることにしました。
 外はどしゃ降りの雨が降っていました。小さな傘に二人で入って、山道を先へ先へと歩きました。
谷からの風が吹きつけ、小さな傘では横からの雨は防げず、私もこうきもびしょ濡れになりました。
 私は少し、怒りの気持もありました。
 「こんな日にも、お前はこうなのか、」
 山道をぐいぐい歩きながら、荒い言葉をぶつけたくもなりました。
 けれども、こうきはそんな雨の中でも、いつもの公園の散歩に来ているかのように軽々と小走り
で、どこか楽しげでした。
 そのまま、こうきの手を握って歩いているうちに、少しずつ怒りの気持が静まってきました。
 だいぶ歩いたところで、
 「帰ろうか」と言うと、
 「かえる、かえる」とこうき。
 なんだか納得して、二人で火葬場に戻り、なんとかお骨を拾う時間には間に合いました。
 
 午後の葬儀では、レスパイトの方が喪服を着て、こうきに付き添ってくれました。
 葬儀が始まると、後ろの方の席にしばらく座っていたそうですが、落ち着かずに立ち上がり
始めたので早めに退出し、そのまま事業所に行って預かってくださったと後で聞きました。
無理せず、参列できるところまで、とお願いしてあったので、そこは本当に助かりましたし、
安心して葬儀に向かうことができました。
 今思えば、あの頃のこうきは、まだ毎日のルーティンを変えることができなかったし、
初めての場所に対する不安感も大きかった。
 お祖母ちゃんが急に倒れて危篤状態になった日曜日も、公園に行きたくてたまらず、落ち着か
ないので、病院から帰って車を飛ばし、いつもの公園に連れ出したのだった・・・。
 辛かったような懐かしいような思い出です。

 あれから7年が経って、今度はお祖父ちゃんのおわかれ会。
 あの頃と比べれば、嘘のように落ち着いたこうきの姿がありました。
 通夜は、皆と同じようにその場に座り(正座は難しいので、足を投げ出したり、椅子に座ったり
でしたが)、ふと存在を忘れてしまうくらいの静かさでした。
 時々、こうき特有の声は出ていましたが、それほど気にはなりませんでした。
 ただ、やっぱり少しおかしな行動をしてしまうこうきらしさはありました。それは、DSカメラで
写真をとりまくっていたこと。
 火葬場でもあちこちでカメラをカシャカシャ。棺が炉の中へ入っていくところ、お骨を拾う場面
などを激写。そして、拾い終わってお骨のなくなった台車が奥の部屋に運び込まれていくとき、
中まで見に行ってそこでなにやら上の方を撮影。
 「だめだよ」と静止すると、
 「あっちに、おじいちゃん、いますか」
 「どこから、いきますか」
 上の方を指差して、しきりに写真を撮るのです。
 そこはなんでもない倉庫のような場所なのですが、こうきにとっては、お祖父ちゃんはどこへ
行ってしまうのか、どこから天国へ行くのか、不思議でいっぱいのようでした。
 
 その後の葬儀ですが、前の方に座るよう促しても、自分一人で座ると言って聞かず、最後
まで後ろの方の席で静かに座っていました。
 人と違うところ、少しずれた行動は残っているけれど、周りの世界に少しずつ合わせられる
ようにもなってきたこうき。
 お祖父ちゃんはあまり口には出しませんでしたが、こうきのことを、ずっと心配してくれて
いました。
 少しだけ、安心してもらえたかな、と思います。

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生まれる予約 [記事]

 令和になる二週間前に、お祖父ちゃんが亡くなりました。
去年の8月から、長い入院生活を送っていて、こうきもよくお見舞いにいって
くれました。
 「おじいちゃん、こんにちは」
いつものよく響く声でこうきが病室に入っていくと、
「オウ」と嬉しそうに返事をして、こちらに顔を向けてきたお祖父ちゃん。
骨折からの肺炎で寝たきりになって、物も食べられなくなり、身体は弱っていた
はずでしたが、こうきのあいさつには元気に声を出していました。
 3月に退院できることになって、お祖父ちゃんは嬉しそうでしたが、こうきは病院
に行く楽しみがなくなって、ちょっぴり残念そうでした。
 「おじいちゃん、うちに帰りますか」
 「おじいちゃん、うちに帰ってきてたいへんですか」
何度も繰り返していましたが、、こうきなりにお祖父ちゃんの大変さをわかっていた
のかも知れません。

 家に帰ってきたお祖父ちゃん、半年振りに飼い猫と顔を合わせ、庭からの春の風を
感じ、窓越しに隣の奥さんと話をし、車椅子で食卓にもつき、デイサービスにも出か
け・・・少しずつ、日常を取り戻しつつあったその矢先でした。突然熱を出し、それから
あっという間に遠くへ逝ってしまいました。
 こうきは新学期が始まり、寄宿生活に入っていました。月曜日に出て行って、金曜に
帰ってきたときにはお祖父ちゃんが亡くなってしまっていて、少なからず混乱はあった
と思います。
 「おじいちゃんは天国に行っちゃったよ」
そうこうきに伝えると、その時は落ち着いて受けとめているように見えました。
 けれども、お通夜と葬儀が終わり、しばらくすると、
 「おじいちゃん、なくなっちゃったですか」
 「おじいちゃんはもう見えないですか」
何度も言うようになりました。
 「そうだね、見えないのはさみしいねえ。こうきもさみしい?」
 「さみしいです」
 「このいえは四人になっちゃったですか」
 「そうだね。四人になっちゃったね」
 「おじいちゃん、帰ってきますか」
 「そうだなあ、もう帰ってこないかな・・・」
 何気なく返事をすると、
 「おじいちゃん、帰ってきます!」
と強い口調に。
 そこからはだんだんに早口になってきます。
 「おじいちゃん、帰って来れないですか、また帰ってきますか」
 「おじいちゃん、また生まれますか。いつ生まれますか」
 「一日生まれたい。おばあちゃんも、生まれたい。二人いっしょ帰ってください」
 「一月よやく、帰ってください。パソコンで予約してください。今から、注文します!」
 「おじいちゃんとおばあちゃんと生まれるの、今からたのんでください。今日たのみ
たい。予約して生まれたい!」

 淡々としていると見えた心のうちにも、人がいなくなってしまうことの不思議さや、
何とも言えない欠落やさみしさのようなものを感じていたのか、とはっとしました。
 「生まれるの、予約できたら、本当にいいよね」
答えながら、自分もまたこうきの言葉にふっとなぐさめられたような気がしていました。


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令和のおかね [記事]

 4月が終わりに近づいた頃。
 「あしたは、へいせい31ねんですか」
 「5月1日は、へいせい31ねんですか」
 ニュースやまわりの会話から、何やら変わるらしいということに気づいたこうきです。
 「あのね、平成は4月30日でおしまいになるんだよ。5月1日からは令和1年になるんだよ」
 「4月でへいせいはおわりですか」
 こうきにとっては、わけのわからぬうちに平成から令和とやらになった、という感じなのでしょう、
じっと考えています。
 「このおかね、使えますか」
 いつも持ち歩いている財布から小銭を取り出そうとします。
 「大丈夫、お金はちゃんと使えるよ」
 こちらはあまり考えずにそう答えていました。
 こうきはなんだか納得いかない様子。
 「れいわのおかね、あたらしくなりますか」
 「れいわのおかね、いつできますか」
 「そうだねえ、新しいお金出ると思うけど、まだ先だと思うよ」
 と私。
 「れいわのおかね、いつ出てきますか」
 「れいわのおかね、そのうち出てきますか」
 「れいわのおさつ、出ますか。いつ出ますか」
 「れいわのおさつ、出るかどうか、決まってないですか」
 だんだんしつこくなってきます。
 「まだ、わからないよ。こうき、そんなに令和のお金ほしいの?」
 ちょっと辟易して尋ねると、
 「へいせいのおかね、まだ続きますか」
 「へいせいのおかね、なくなりますか。何日なくなりますか」
 「れいわのおかね、出てきたら、へいせいのおかね、なくなりますか」
 自分の財布から小銭を取り出して、私に突きつけてきます。
 そういうことですか・・・。
 今あるお金が使えなくなったら・・・それは心配だよね。
 高等部になった頃から、こうき、自分の財布を持ちたがり、バス代やジュース代を払うように
なりました。自分でお金を払うことに嬉しさを感じているようで、家の買い物をする時でも、
 「ぼく、はらいます」
 と、さっと横から手が伸び、小銭を何枚もトレーに出して得意げにしています。
 今では、暇があれば、財布に入れてある小銭を出したり入れたり、また出して眺めたり。
 耳元で財布を振って、ジャラジャラ音がするのを楽しんでいる時もあります。
 そうね、
 令和のお金はいつ出るのかしらね。
 どんな音がするのかしらね。





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