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最後の子ども病院 [記事]

 養護学校の高等部になった頃、通院していたこども病院の先生に
そろそろ大人の病院への移行を考えては、と言われました。5歳から
ずっと通い続けた子ども病院。移るのは不安もあり、できるだけ長く
診てほしいと、その時は伝えました。先生からは、今とは言わないが
どこの病院がよいか少しずつ情報を集めてみましょうと話があり、
結局卒業後、先生から紹介いただいた近くの病院に移ることになりま
した。
 新しい病院に行き、担当の先生にお会いした時、
「何か困っていることはないですか」と聞かれ、
「ないです!」
と元気いっぱい答えたこうき。あっという間に診察は終わり、いつも
の薬も継続で、それから3か月ごとの通院が続いています。
 
 そして、この3月、子ども病院での最後の受診がありました。20歳
からの障害年金申請のための診断書だけは、長く通院していた子ども
病院で書いてくれることになっていたからです。
 こうきはこの日をだいぶ前から楽しみにしていました。仕事を半日で
早退して車で40分ほどかかる病院に向かいました。半年以上ぶりの子
ども病院で、しかも最後だというのでテンションも上がります。
 病院に着くと、いつものように身長体重を測り、診察室へ。担当の先
生は前の先生から変わって3年ほどですが、いつもこうきの目にじっと
視線を合わせておだやかに話をしてくれ、こうきは前から先生に親しみ
を感じているようでした。
 その後の生活の様子と診断書の話もそこそこに、こうきは話したくて
仕方がない様子です。
「子どもびょういん、また来てもいいですか。またせんせいに会いにきて
もいいですか」
 こうきの訴えに、先生はおだやかに笑いながら、
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、これからはねえ、新しい病院の
先生に相談してください」
 こうきはなかなか諦められない様子で、
「こまったら、子どもびょういん、せんせいにそうだんできますか」
「46さいになっても、子どもびょういん、先生にそうだんできますか」
「100歳になってもしんさつできますか。しんさつしつ入っていいです
か」
 立て続けに言葉を重ねます。
「きみは、なかなか、粘るねぇ」と先生。
小さい頃からずっと通っていたので名残惜しくて、と説明する母もじんわり
こみ上げるものがありますが、なんとかこのオーバースピードを抑えねばと、
「じゃあ、また病院のお祭りがあったら来よう」と新提案をしました。
「お祭りでせんせいに会えますか。しんさつはできますか」
たたみかけるこうきに、
「診察はできないけれど、きみが来るなら、先生出迎えてあげるよ」と、先生
リップサービスまでしてくださり、でも今年はコロナだからお祭りは難しいか
もしれない、去年も中止だったなどという話をして、ようやく
「いままでほんとに、お世話になりましたー」
とお礼の挨拶にこぎつけました。
 診察後は、いつものように売店でおやつと飲み物を買い、中庭のベンチで食
べました。天気が良く、ちょうど桜が咲いており、気持ちの良い日でした。
 初めて病院に来たのは5歳で、遠くの病院だからとその時はお祖母ちゃんが
一緒について来てくれたんだった。療育で言語や作業の訓練に通った時期もあ
ったし、保育園の先生が付き添ってくれたこともあった。お祖父ちゃんや妹が
一緒に来て、帰りに近くの公園の桜を見て遊んで帰ったこともあったなあ。
 いろいろなことを思い出すと感慨深く、しばらく時間の経つのを忘れました。
こうきもまた、「帰ろうよ」と声をかけても「もうちょっと」と中庭をあちこち
歩き、いつまでも病院の建物を眺めていました。

「子どもびょういん行くの、今日さいごなっちゃう」
「うんとさみしい」
「遠くのびょういん好き。また行けますか」
「困るのあってもみてくれないですか。相談もできないですか」
「うんとこまるのあっても、今日が最後です!」
 車の中、寂しい思いと自分を納得させる言葉を言いながら帰ってきて、2か月。
しばらく子ども病院ロスは続いていました。大きな声では言えないですが、あれ
から二度ドライブがてら病院の近くまで行き、一度は売店で買い物をして帰って
きました。それでやっと少し、気が収まりつつあるこの頃です・・・。

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